投稿日:2020年12月16日 最終更新日:2020年12月16日 記事制作:奥本 光城
最近毎日肖像画を描くことにしている。
自画像ってやつだ。
写真を撮る以前から絵画に興味があった。
美術館に有名な画家の絵が来ると、心踊らせながら鑑賞に行った。
昔写真という技術がなかった頃
土地を治める君主や上流階級の人達にはお抱えの絵師がいた。
自分がそこにいなくても、それを見せることによって権力を誇示した。
きっとそれが画家の生きる道であっただろうし
顔色の悪い君主もいたはずだ。
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だから画家が描く自画像はとてもナチュラルだし共感が持てる。
きっと鏡に向かい合って時を使うことが、彼ら自身のメンタルケアにつながっていたのだ。
生活をするための絵画と、自分の描きたい絵。
写真を撮ると言うこともそういうことだ。
万人が納得のいく良い写真なんていうのは存在しない。
ピンポイントで刺さるものだ。
人に撮ってもらった写真が
自分の好みに合っているかどうかの判断はつかない。
とってもらったという行為にもすでに遠慮するし、
自分の好みを言葉にして表現することも難しい。
感覚的なものを伝えると言う事は不可能と言わないけれど。
テレビのコメンテーターが面白おかしく伝える長嶋監督はほんとにすごい。
感覚を感覚のも伝えようとすると、わかる人にしかわからない言葉になる。
わからない人に説明するのは不可能だ。と言う事は伝える側よりも受け取る側の問題だ。
あるいは受け取る側のレベルを意識して言葉を選ぶべきだ。
と言う事は最初から伝える内容を取捨すべきだと言うこと。
だから感覚的に優れている人からその感覚を学ぼうとすると
受け取る側十分に勉強しておく必要がある。
言葉のニュアンスから推測しなければならないからだ。
肖像画が好きだ。
どういうことかお分かりだろうか?
答えは私にあるのではなくて
受け取るあなた自身にある。